作品情報
- 公開:1992年10月03日
- 上映時間:114分
- 制作:デンマーク、フランス、ドイツ、スウェーデン
- 監督:ラース・フォン・トリアー
- 視聴方法:U-next
キャスト
- ジャン=マルク・バール(レオ・ケスラー役)
- バルバラ・スコヴァ(カタリナ・ハルトマン役)
- ウド・キア(ローレンス・ハルトマン役)
- ラース・フォン・トリアー(ユダヤ人の男役)
- マックス・フォン・シドー(ナレーター役(声))
あらすじ(ネタバレなし)
第二次世界大戦直後の荒廃したドイツが舞台。
アメリカ人青年レオポルドはドイツの鉄道会社に就職し、混乱と陰謀の渦に巻き込まれていく。
催眠術のような語りとモノクロ映像が不穏な空気を醸し出し、現実と幻想が交錯する中で、彼の運命は次第に揺らいでいく。
ヨーロッパの闇を描いた寓話的サスペンス。
以下、ネタバレあり
あらすじ(ネタバレあり)
🟩起:戦後ドイツへの旅立ちと出会い
第二次世界大戦終結直後、アメリカ人青年レオポルド・ケスラーは、復興に貢献したいという理想を胸にドイツへ渡る。
伯父の紹介で大手鉄道会社「ツェントローパ」に車掌見習いとして就職し、寝台車に配属される。
ある日、車中で社長マックス・ハルトマンの娘カタリナと出会い、彼女に気に入られたレオはハルトマン家の晩餐に招かれる。
食事の席では、カタリナの兄ラリーがアメリカの占領政策を批判し、ドイツの再起不能化を憂う。
その後、アメリカ軍の情報部指揮官ハリス大佐が登場し、ナチス残党によるテロ組織「人狼(ヴェアヴォルフ)」の存在を語る。
レオは次第に、復興の理想とは裏腹に、複雑な政治と陰謀の渦に巻き込まれていく。
🟨承:陰謀の渦と揺れる忠誠
レオは勤務中、ハルトマン家の知人を名乗る男から、二人の少年を列車に乗せてほしいと頼まれる。
発車後、車中でフランクフルト市長夫妻が暗殺され、犯人はその少年たちだった。
彼らは人狼の刺客だったのだ。
レオは知らぬ間にテロに加担させられたことに衝撃を受ける。
その後、ハルトマン家でのパーティーにて、ユダヤ人青年がマックス社長のナチス関与について証言を求められるが、実は偽証を強要されていたことが判明。
マックスは占領軍と人狼の板挟みに苦しみ、浴室で自殺する。
カタリナはかつて人狼に属していた過去をレオに告白するが、今は後悔していると語る。
レオは彼女の告白を受け入れ、二人は恋仲となる。
理想と現実の狭間で、レオの信念は揺らぎ始める。
🟥転:愛と裏切り、そして選択
マックスの死後、レオはカタリナと結婚し、穏やかな日々を過ごす。
しかし1年後、カタリナが人狼のリーダー・ジギーに拉致される。
ジギーは、カタリナの命と引き換えに、レオが乗務する寝台列車を爆破するよう要求する。
爆弾が送られてきた矢先、車掌昇格試験の試験官が乗車してくるという最悪のタイミング。
レオは爆弾を抱えながら右往左往し、隣の列車にカタリナが乗っていることに気づく。
彼女はジギーの指示通りにするよう懇願する。
レオは葛藤の末、爆弾のスイッチを入れるが、寸前で思いとどまり停止させる。
だが状況は混乱を極め、ジギーは米軍に逮捕される。
レオは試験を続けさせられながら、愛と信念の狭間で極限の選択を迫られる。
🟦結:破滅への疾走と静かな終焉
レオは一度は爆弾を止めたものの、精神的に追い詰められた末にスイッチを押してしまった。
すでに運命の歯車は狂っていた。
列車は混乱の中で制御不能となり、川へと突入していく。
水没する車両の中で、レオはカタリナの姿を探すが、彼女の安否は不明のまま。
催眠術のような語りが再び響き、観客はレオの意識の深層へと引き込まれていく。
理想を抱いて渡ったヨーロッパで、レオは政治、暴力、愛、裏切りのすべてに翻弄され、最後には自らの意思ではどうにもならない破滅へと飲み込まれていく。
映画は、戦後の混乱と個人の無力さを象徴するように、静かに幕を閉じる。
感想(ネタバレあり)
大学時代に初めて見て、感銘を受けた映画です。
私が映画好きになったキッカケの作品とも言える。
内容はかなり見る人を選ぶ作品、そして好き嫌いがきっちり分かれる作品だと思う。
入口からして難解。
アメリカ人で、戦後すぐで、なぜわざわざドイツで働こうとするか…
私には理解できない。
登場人物の誰にも一切感情移入できない。
しかし、政治と愛、陰謀が絡み合う展開に引き込まれる人もいるだろうと思う。
トリアーシリーズの特徴でもあるが、この作品は映像美が際立つ。
モノクロ映画かと思いきや、突然じんわりと入り込んでくるカラーを交錯させた演出や、催眠術のようなナレーションが印象的で、観る者を不穏な世界へ引き込む。
作中、レオポルドが列車の窓から外を見ているときに、線路脇に吊るされた死体が一瞬映るという描写がある。
本当に一瞬で言及するようなセリフもないが、この衝撃的なワンシーンは静かに様々な事実を物語っている。
まずは戦後ドイツの混乱と暴力の象徴。吊るされた死体は、ナチス残党「人狼」による粛清や報復の痕跡だろう。
つまり、戦争は終わっても暴力は終わっていないという暗示。
また、レオの「中立」が揺らぐ瞬間である。
彼はアメリカ人として復興に貢献したいと願っていたが、現実はあまりに残酷で、理想が崩れていく。
吊るされた死体は、彼が踏み込んだ世界の「本当の顔」を突きつける。
そして、技法として言えるのは、まるで催眠的な語りとの対比だ。
映画全体が催眠術のようなナレーションで進行する中、このシーンは突然の「現実」として観客を揺さぶる。
夢と現実の境界が曖昧な本作において、死体の描写は「現実の重さ」を突きつける瞬間でもある。
また、技法に関しては、ラストの列車水没シーンは映像詩として高く評価される一方、「実験的すぎる」という批判もあり、評価が難しい作品だと思う。
しかし、ヨーロッパ三部作の中では娯楽性が高く、比較的わかりやすいという意見も見られる。
✅魅力に感じたところ
- 映像美と演出の革新性
モノクロとカラーを融合させた映像は、夢と現実、過去と現在の境界を曖昧にし、観る者を催眠的な世界へ引き込んでいる。
列車が水没するラストシーンは映像詩として高く評価されている。(賛否両論ではあるが) - 催眠ナレーションの没入感
冒頭から「あなたは眠っている…」と語りかけるナレーションが、観客の意識を物語の中へ誘導する。
これは単なる語りではなく、映画全体の構造そのものを支配する仕掛け。 - ラース・フォン・トリアーらしい冷徹な美学
感情に訴えるのではなく、構造と演出で観客を揺さぶるスタイル。
好き嫌いは分かれるが、映画作家としての独自性は際立っている。
❓気になったところ
- とにかくストーリーが難解で感情移入しづらい
登場人物の動機や関係性が曖昧で、主人公含む登場人物誰にも感情移入できない。
特にカタリナの行動は謎めいていて、裏切りとも取れる展開に戸惑いを覚えた。 - テンポが遅く、退屈に感じるかも
映像や語りに重きを置いているため、物語の展開が緩やか。
ハリウッド的なスピード感を求める人には「眠くなる」「意味がわからない」と感じられることもある。 - 象徴性が強すぎて解釈が分かれる
吊るされた死体、爆弾、水没する列車など、象徴的な描写が多く、明確な説明がないため「難解すぎる」と敬遠されがち。
🎥映像について
この作品は、「迷宮のような映像美」「催眠状態から始まる映画」「技巧的で詩的な表現」が魅力的。
- モノクロとカラーの融合演出が圧巻
画面の一部だけがカラーで彩られるなど、モノクロとカラーを大胆に合成した映像は、夢と現実、記憶と現在の境界を曖昧にする効果をがあり魅力的。 - 催眠術的なナレーションとの連動
マックス・フォン・シドーによる語りが、観客の意識を映像と同期させるように設計されており、「観る」というより「導かれる」感覚を生んでいる。 - 古典フィルム・ノワールの再構築
映像は技巧的に古典映画のスタイルを再現しつつ、現代的なメタ演出を加えている。
煙に巻くような難解さではなく、構造的な美しさがあるのも素晴らしい。 - 列車という閉鎖空間の活用
ほぼ全編が列車内で展開されることで、閉塞感と緊張感が映像に凝縮されており、トリアー監督自身の恐怖症とも重なる私的な感覚が表現されている。 - ラストの水没シーンの詩的演出
列車が橋から落下し、水中に沈んでいくラストは、映像詩として高く評価されており、観客に強烈な印象を残す名シーン。
以上、「ヨーロッパ」の感想でした。
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