作品情報
- 公開:2024年05月10日
- 上映時間:97分
- 制作:デンマーク、オランダ
- 監督:クリスチャン・タフドルップ
- 視聴方法:U-next
キャスト
- モルテン・ブリアン(ビャアン役)
- スィセル・スィーム・コク(ルイーセ役)
- フェジャ・ファン・フェット(パトリック役)
- カリーナ・スムルダース(カリン役)
あらすじ(ネタバレなし)
デンマーク人の家族が休暇先のイタリアで出会ったオランダ人夫婦に招待され、田舎の別荘を訪れる。
親切なもてなしの中、次第に違和感が募り、言葉にできない不安が静かに広がっていく。
日常の境界が揺らぐ心理スリラー作品。
以下、ネタバレあり
あらすじ(ネタバレあり)
🟩起:偶然の出会いと誘い
デンマーク人夫婦のビャアンとルイーセ、そして娘アウネスは、イタリアでの休暇中にオランダ人夫婦パトリックとカリン、息子アーベルと出会う。
アーベルは舌がなく言葉を話せないが、両家の子供たちはすぐに打ち解け、親同士も意気投合する。
数週間後、パトリック夫妻から「オランダの田舎にある我が家へ遊びに来ないか」と招待状が届く。
ルイーセは少し警戒するが、ビャアンは乗り気で、家族は週末を過ごすためにオランダへ向かう。
到着した家は人里離れた静かな場所で、自然に囲まれた理想的な環境に見えた。
再会を喜び合う両家だったが、ルイーセは早くも些細な違和感を覚え始める。
例えば、ベジタリアンであることを伝えていたにもかかわらず、イノシシ肉を勧められたり、娘の寝床が硬い簡易ベッドだったりと、配慮の欠けた「おもてなし」が続く。
🟨承:募る違和感と沈黙の選択
滞在中、パトリック夫妻の言動に妻ルイーセは不快感を募らせる。
ベビーシッターとして現れたムハジドという見知らぬ男性に娘を預けるよう言われたり、必要以上に人前でベタベタとするパトリック夫妻の姿や車内でのいざこざ、シャワー中に部屋へ入られたりと、境界を越える行動が続く。
ルイーセは「帰りたい」と訴えるが、ビャアンは「あと1日半の辛抱だ」となだめる。
娘が上裸で眠るパトリックの横で寝かされたことが決定打になり、夫婦はこっそり家を出ようとするが、パトリックに見つかり「悪意はなかった」と謝罪され、結局とどまることに。
翌日、子供たちがダンスを披露するが、アーベルの動きに苛立ったパトリックが怒鳴り、グラスを投げつける。
教育方針の違いが露呈し、空気はさらに悪化した。
🟥転:逃亡と暴かれる狂気
その夜、ビャアンが納屋に入ると、壁一面に子供たちの写真が貼られており、パトリック夫妻が“子供を入れ替えてきた”ことを示唆する異様な光景が広がっていた。
納屋での異様な光景に恐怖を覚えたビャアンは、戸惑うが、その直後、プールに浮かぶアーベル(パトリック夫妻が連れていた男の子)の遺体を発見する。
ビャアンは急いでルイーセとアウネスを起こし、車で逃げようとする。
しかし車からはガソリンが抜かれており、何もない場所で停止してしまう。
ビャアンは近くの民家に助けを求めるが空き家のようで誰も出てこない。
ついにパトリック夫妻に追いつかれてしまう。
何も知らない妻ルイーセが、夫妻に連絡をしてしまったのだった。
🟦結:理不尽と沈黙の象徴
車に乗せられた一家は家には戻らず、知らない道を走り続ける。
やがて車が止まり、ムハジドが再び現れ、アウネスを押さえつけて舌を切り取る。
泣き叫ぶ娘はどこかへ連れ去られ、ビャアンとルイーセは絶望の中で服を脱がされ、採石場で石打ちの刑に処される。
死の直前、ビャアンは「なぜこんなことを」と問うが、パトリックは「お前たちが差し出した」と答える。
朝、ビャアン夫妻の遺体の周囲には小石の山が同じようにいくつも並んでいた。
娘アウネスはパトリック夫妻に連れられ、無表情で車に揺られるのであった。
感想(ネタバレあり)
ブラムハウスで制作されたリメイク版「スピーク・ノー・イーブル 異常な家族」を鑑賞したので、オリジナルの方も見てみたくなって再生。
なんだかこちらの「家族」の方が不気味さが少なく、自然な普通の家族に感じられた。
最初の外食でルイーゼは肉を食べないベジタリアンだと伝えていたのに、招いた初日の晩ご飯を「今夜はイノシシ料理よ!」と振る舞っているので、”がさつさ”は上だが、知り合ったばかりで「肉は食わんってば!」とは言えないか…。
不思議なことだけど、青白くて冷たい映像が、儚く素敵にも見えるし、恐ろしくも見える。
画角が広いとその広さに開放感を覚えることもあれば、孤独を感じることもある。
この映画は引きの画がとても美しい。
ああ、北欧の映し方、という感じ。
アービルがビャアンに口の中を言葉通り「無言で」見せるシーンは恐ろしい…。
でもパトリック夫妻に「なぜ口を見せてきたのか」「あの舌は生まれつきに見えないけど?」なんて深く聞けないよね。
自分の知らない障害、見たことがない障害もあるし…。
黙って出て行ったのが分かって言い訳のやり取りをするシーンは、なんだかだんだんビャアン夫妻の方が非常識で神経質なように思えてくる。
違和感は確かにあるのに、「もしかしたら、ただ”がさつ”なだけの人たちなのかも」と思わせる説得力がある。
オリジナルとの比較で言うと、父親が写真を見つけるところにはびっくり!
リメイクでは舌を切り取られた子供が、新しい娘に夫妻の正体を訴えかけていた。
そしてアービルは用済みで溺死…。
洋画のホラーやスリラー、スプリッターって父親が無能だったり父親だけ異変に気付かずサラっと犬死にするパターンをよく見かけるけど、これは父親が決定的なヤバさには気づいたのに妻が…そしてそれは結局夫のそれまでの肯定的な選択が原因、というパターン。
車の中で話しておけよ!と思ったけど、ビャアン自身も信じられないことでパニックになっていただろうし、娘もいる目の前では上手く話せないかぁ。
リメイク版はとりあえず逃げおおせたし、結局この手のスリラー映画は、主人公たちは傷を負ったとしても致命傷にはならずに済むんでしょ?
と思って見ていたので、アグネスが連れ去られるシーンからは裏切りばかりで衝撃だった。
なぜ誘いに乗ってしまったのか、なぜ最初の晩の違和感で決別しなかったのか、なぜルイーセはよりにもよって奴らに助けを求めてしまったのか、なぜキーを奪って逃走できなかったのか。
自分がもしこんな目に遭ったらどうするだろう。最後の言葉が「ごめんね」なのはすごくリアル。この感情、どうせえちゅうねん。
✅魅力に感じたところ
- 違和感の積み重ねが巧妙
明確な脅威を示さず、些細な不快感が徐々に積み重なっていく構成が秀逸。
観客自身が「これは普通?それとも危険?」と判断を揺さぶられる。 - 「無抵抗」というテーマの深さ
善良さや遠慮が、逆に悲劇を招くという構造が現代的でリアル。
「言えない」「断れない」ことの怖さを突きつけてくる。 - 演技が自然で説得力がある
登場人物が普通の人に見えるからこそ、恐怖が現実味を帯びる。
特にパトリック夫婦の親しげな不気味さが絶妙。 - ラストの衝撃と余韻
結末は容赦なく、観客に強烈な不快感と問いを残す。
胸糞スリラー好きにはたまらない一撃。
❓気になったところ
- 後味が極端に悪い
胸糞系の映画として知られ、観る人を選ぶため、好きな人は好きだし、無理な人は2度と見たくないという評価を下すと思われる。 - 説明が少なく、動機が不明瞭
加害者側の目的や背景が語られないため、理不尽さが際立つ一方で、物語としての納得感に欠けると感じる部分も。 - 主人公たちの行動に苛立ちを覚える
「なぜ逃げない?」「なぜ言わない?」というもどかしさが、リアルさでもあり、ストレスにもなる。
🎥映像について
この作品は、「何も起きていないようで、すべてが狂っている」という感覚をじわじわと植え付けてくる作品。
- 青白く冷たい色調
映像全体が寒色系で統一されており、感情の冷却と不安感を強調。
儚さと恐怖が同居する美しさがある。 - 広角・引きの画が多用される
空間の広さが開放感ではなく、孤独や無力感を演出。
特に屋外シーンで「静けさ」が不気味。 - カメラの距離感が絶妙
登場人物に寄りすぎず、観客が第三者として見守るような視点が続くことで、傍観者の罪悪感すら感じさせる。
以上、「胸騒ぎ」の感想でした。


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